科学者と憲法9条の価値
河井 智康

I.日本の科学者が世界平和に果たすべき役割

 第2次世界大戦の中で、日本はアジア諸国を侵略し犠牲を強い、また日本国民も多くの苦難に直面してきた。そのとき、本来平和を説くべき日本の科学者も、例外的な正義派を除き日本軍国主義に加担し、時にはアジア侵略に積極的な役割をも演じてきた。この痛苦の教訓を、今の憲法改悪の時流に当たって、十分に発揮することが求められている。それは世界平和に対して果たすべき日本の科学者の重要な役割である。以下、3つの点で科学者の役割を考えたい。

1.科学者の社会的責任と平和の課題

1)日本学術会議「科学者憲章」(1980)

2)日本科学者会議の目的(会則、1965)

 これらは、戦後に日本の科学者が到達した視点である。これらの指摘を結合して運動を展開することが求められている。

2.日本における科学者の特徴と役割

3.核兵器開発に協力した世界の「科学者」の責任

 よって、日本の科学者は憲法を護る運動の先頭に立つ条件と責任がある。

II.科学的視点で9条を考える

1.9条の世界的・歴史的価値を明らかにする

1)国際的合意を背景にした9条

 1945年7月26日のポツダム宣言は、日本の非戦・非武装を要求し、日本政府も同意した。占領の主体はアメリカであったが、国連がイニシャチブをとる限り憲法9条の内容は変わらなかったと言えよう。したがって、日本国憲法9条は国際的合意を背景に作られたものであり、世界平和に向けた人類叡智の到達点であったと見ることも出来る。アメリカの押し付け憲法といった中傷は断じて当たらない。

2)核兵器使用後にできた9条

 今日国際的基準とされている国連憲章は、1945年6月25日に批准された。この中では、個別の戦争を否定しつつも武力による自衛権を一定の形で承認している。しかし、広島・長崎に原爆が落とされた後には「自衛権」の概念にも疑問が生まれた。核兵器を用いた自衛が許されるか否かである。そこで国連決議第1号は核兵器の禁止を謳ったが、アメリカの妨害で未だ実現していない。日本国憲法は非武装を義務づけており、その意味では国連の言う「自衛権」も認められていない(憲法制定当時は自衛権も無いとしたが、今日の日本政府見解では自衛権はあるとし、そのための自衛隊を合憲としている)。つまり日本国憲法9条は国連憲章を上回る平和主義に貫かれており、全力で守るべき世界の宝である。

3)世界平和の牽引車としての9条

 現在本物の非武装国(日本は入らない)は世界で27ヶ国あり、徐々に増えている。しかしその人口はいまだ4000万人程度であり、世界人口の0.6%である。日本が名実ともに9条を護りこれに参加すれば、一挙に人口は2%増えることになる。これは1999年のハーグ平和アピール(世界各国で9条と同様の決議をしようとの宣言)を実践する日本の今日的ありようと言える。

2.自民党の新憲法草案の本質を明らかにする

1)国民だましの戦争憲法

 9条第1項(戦争放棄)を手つかずに残すことであたかも平和主義を装っているが、第1項の政府解釈は自衛のための戦争は肯定しており、戦争に対しては何の制約もないことになる(今日ではすべてを「自衛のための戦争」と言い、自ら「侵略戦争」とはアメリカも決して言わない)。そして第2項に自衛軍の設置と国際協調を謳うことで、世界どこへでも軍隊を派遣できることになる。そもそも9条のタイトルを「戦争の放棄」から「安全保障」に変えたところに、「戦争の放棄」の放棄という本音がある。

2)立憲主義否定の国民統制憲法

 近代の立憲主義は、憲法によって国民の権利を定め、国民を規制する一般法とのバランスをとるという考え方である。しかるに自民党案では、憲法によってまず国民を縛り、さらに関連法で国民をムチ打とうとするものである。はじめに前文で国を護る気概を持てとのべ、第12条では国民の人権や自由も「公益及び公の秩序」の範囲でしか認めないとしている。現行憲法での自由に対する制約は唯一「公共の福祉」であった。つまり、自民党案は9条との関連で、戦争(緊急時)になれば人権も自由もないのだという宣言である。すでにそのときを想定した「新憲法」先取りの有事立法や国民保護法も出来上がりつつある。

3)国民投票法案の悪巧み

 自民党の新憲法草案は、だんだんとその真意が見えて来つつある。自民党としても、万が一にも岩国の住民投票のように負けることがあってはならないと真剣である。そして絶対負けない仕組みを国民投票法に組み込もうとしている。その最たるものが言論弾圧の仕組である。すでに民主勢力のビラ配布の弾圧では予行演習を始めているようだが、法案ではマスコミに対する露骨な干渉が準備されている。とりわけ国民の新聞意見広告などを禁止しようとしている。近年国の政策に対する賛成側の宣伝がめだっており、それは取り締まらずに反対側だけを弾圧することが予想される。まさに権力側も必至の構えで臨もうとしている。

3.9条を護る道を考える

 科学者は常に物事を客観的に、また全体的に捕らえるよう訓練されている。その力を世界平和のために発揮することが、科学者の社会的責任といえる。そして今日の9条を中心とする改憲論は、客観的に見ればアメリカの世界戦略に加担する世界平和の破壊者である。以下の4点を提起したい。

1)9条批判への反論と宣伝

 9条を変えようとする根拠には、

 等がある。こうした議論に関する「想定問答集」は有効な手段となろう。

2)改憲反対とともに日本の針路を語る

 アメリカの世界支配の側につくのか、アジアの一員として世界平和に貢献するかが問われていることを訴える。いま世界世論は急速に戦争の無い世界を求め始めており、ヨーロッパ、中南米、アジアでは平和の共同社会構想が発展しつつある。日本の針路が唯一日米安保条約の範囲内にあるのではないこと、アジアの一員として平和を展望するならば、現行憲法を変える必要が無いことを主張する。なお今日の風潮として、「改悪も改革の内」という発想があり、日本の将来の方向を示すことはとりわけ科学者として重要である。

3)戦争の真実を伝えるのは高齢者の役割

 今回の改憲論と、日本のかつての戦争責任への見方が連動している。とりわけ靖国神社遊就館流の宣伝(太平洋戦争はABCD包囲網の中で止むにやまれぬ正義の戦争だったとする主張)は青年の心を刺激しやすい。それを否定するには自らの体験を踏まえた反論が有効であろう。平和運動に高齢者が多いのはその意味で有利である。むしろ高齢科学者の今日的役割として、戦争の真実を積極的に語っていくべきである。

4)9条を護る国際世論を構築する

 日本の政治は国際世論に弱いのが一つの特徴である。憲法改定や靖国参拝は内政問題として政府は必死に潜り抜けようとしているが、すでにその論理は国際的には破綻している。しかし国民はそれにまだごまかされている人が多い。国際的な宣伝・普及も科学者の責任範囲である。

 以上